今日は朝からみのさんがいつも以上に吠えていた。それもそのはず、明日から道路特定財源の暫定税率期限切れに伴う石油価格の値下がり、原材料高等による食物や生活必需品の値上がりによって、まさに国民生活に直接の影響が出るからだ。
与野党の協議の難航により暫定税率期限切れという顛末に陥り、政府・与党は今後再値上げを画策中だ。暫定税率によって一定の税を確保するという点については異論はないが、今回のプロセスについては非常に疑問である。仮に一般企業、例えばマクドナルドが米国本社の意向でハンバーガーを明日から50円にしますと発表し、その後にすぐ、やはり日本法人としては従来の100円が妥当だと考えますので、再値上げを実施しますとなったら、どうだろう。おそらく消費者からの激しい非難により、その信頼性は著しく低下してしまうだろう。
政府には、中長期的な日本国のビジョンを提示し、国民と共有した上で、それらを実現する各種施策を展開するともに、現状抱えている課題への対応をする責務がある。現在の政府は、この基本的なことが全くできていない。中期的なビジョンもなければ、現状の課題も適切に処理できていないのが実情だ。若者のひとりとして、この事態には非常に憤りを感じるとともに、日本の将来に不安を感じてしまう。
2008/03/31
2008/03/20
日銀総裁人事に見るあきれた日本の政治
まさに愚の骨頂という言葉が相応しい状況になってしまった。日銀総裁人事である。
武藤氏総裁案が否決されたときは、まあそうは言っても19日の期日までには、なんとか話をまとめて新総裁を担ぎ出し、さすがに日銀総裁不在という事態にはならないだろうと思っていたのだが...この顛末である。
世界的なドル安、株価下落、対ドル円高。不気味なリセッションに突入しつつある世界経済のなかで、日本経済にも不透明感が漂い始めている。そんな危機的な状況下のまさにこの時期に、日本経済の番人である日銀総裁を空席にしてしまう政治とは本当にいかがなものか。
統率力なき首相、古い自民党体質、駄々っ子のように批判するだけの民主党。もうくだらない政争はよしてほしい。政局だとか党内のパワーバランス、道路特定財源関連法をはじめとした他法案との兼ね合い、政治家としてはそういうことも考慮しなければのはわかる。しかしながら国民のこと、国家の行く末を心底よく考えていれば、このような意思決定にはならない。
政治家の保身によって、国民生活に悪影響が及ぶことは絶対にあってはならない。三流の政治によって、日本経済がどんどんと崩壊していくことは、非常に憂うべきことだ。
武藤氏総裁案が否決されたときは、まあそうは言っても19日の期日までには、なんとか話をまとめて新総裁を担ぎ出し、さすがに日銀総裁不在という事態にはならないだろうと思っていたのだが...この顛末である。
世界的なドル安、株価下落、対ドル円高。不気味なリセッションに突入しつつある世界経済のなかで、日本経済にも不透明感が漂い始めている。そんな危機的な状況下のまさにこの時期に、日本経済の番人である日銀総裁を空席にしてしまう政治とは本当にいかがなものか。
統率力なき首相、古い自民党体質、駄々っ子のように批判するだけの民主党。もうくだらない政争はよしてほしい。政局だとか党内のパワーバランス、道路特定財源関連法をはじめとした他法案との兼ね合い、政治家としてはそういうことも考慮しなければのはわかる。しかしながら国民のこと、国家の行く末を心底よく考えていれば、このような意思決定にはならない。
政治家の保身によって、国民生活に悪影響が及ぶことは絶対にあってはならない。三流の政治によって、日本経済がどんどんと崩壊していくことは、非常に憂うべきことだ。
2008/03/19
決意
転職をすることにした。新卒で現在の会社に入社して以来、初めて会社を移ることになる。
仕事を始めてからずっと胸に抱き続けてきた「コミュニケーション分野のエキスパートになる」という自分のキャリアゴールに変わりはない。むしろ今回の決断は、この目的を達成するためのひとつのステップとして必要不可欠な意思決定だった。
2001年に現在勤めるPR会社の門を叩いた。今でもPR会社という業態を知っている人たちはさほど多くないが、今から7年前の当時は、僕の友人や知人のほとんどは、PR会社とはいったい何をやっている会社なのかを知らなかったと記憶している。PR市場規模も今の半分以下の約300億円程度だったし、コミュニケーションといえば広告会社の独壇場で、6兆強を誇る広告市場とはそれこそ雲泥の開きがあった。
それではなぜ僕がPublic Relationsという仕事を選んだか。理由は大きく2つある。
まずは、米国でのPublic Relationsの役割の大きさに魅せられたことだ。米国で生れたPublic Relationsは、社会の至るところでその威力を発揮していた。政治、スポーツ、戦争、訴訟問題。想像もつかないほどスケールが大きな案件で、PR会社はそれぞれの組織や企業の参謀として、コミュニケーション上の課題を解決していたのを聞きかじり、とても興奮したことを覚えている。
そして2つ目の理由は、PR業界が日本ではまだまだニッチな産業であったこと。当時は、ちょうど渋谷界隈にITを中心としたベンチャー企業が集まってきて、渋谷が「ビットバレー」と呼ばれていて、まさにベンチャーブームの勃興期であった。同時に、大企業からの求人が絞られていた就職不況の時期であり、いわば冷や飯を食わされていた僕らの世代は、何か新しいことをやりたい、やってやる、というような雰囲気をもっていた。そのような背景から、自分も非常に小さく世の中にはまったくと言っていいほど知られていないPR業界に身を投じることにはさほど抵抗感はなかった。むしろ小さい業界であるからこそやりがいがありと感じる面もあったし、しかも米国ではPRのビジネスが非常に盛り上がっていたため、少なからず日本においてもPRはもっと盛り上がるのではないかと期待していた。
7年間の現在の会社での経験は、まさに「充実」のひとことに尽きる。新卒で入社してから20代という年代を過ごしてきた現在の会社にはとても多くの思い出がいっぱいだ。楽しいこともあったし、嬉しいこともあった、もちろん辛いことや苦しいこと、悔しいこともたくさんあった。コーポレート・コミュニケーションを中心に、本当に数多くの案件に従事することができ、そこで培われた僕の経験やスキルは本当に大切な資産だと感じている。会社にはとても感謝をしている。
今回その会社を卒業し、事業会社に移ることにした。
なぜ事業会社か? それは「より当事者意識を持って仕事をしてみたい」ということに集約される。これまで様々な案件をいわば外部のアドバイザーという立場で関わってきたが、その立場では持つ事が出来うる当事者意識に限度があることをいろいろな局面で感じていた。具体的には、決定権の有無、長期的な視野に立った長く深い関わり、他部署との連帯感などと、外部の会社としては、どうしても味わうことのできないことがあった。
当事者意識を持つというのは、やりがいもあれば、苦しいこともある。緊迫して窮地に追い込まれた状況下でも、文字通りの当事者として様々な事柄に対応する責務があるからだ。その責務を自分に課すことこそ、未来のゴールに到達するために現在の僕に必要不可欠なステップだと考え、今回の決断をした。
2008年の今年で、僕は30歳を迎える。その節目の年に新たな挑戦ができることをとても嬉しく思う。初心に帰り、これまでの経験とスキルを十二分に発揮し貢献するとともに、新たな環境でさらなる飛躍を目指して努力したい。
仕事を始めてからずっと胸に抱き続けてきた「コミュニケーション分野のエキスパートになる」という自分のキャリアゴールに変わりはない。むしろ今回の決断は、この目的を達成するためのひとつのステップとして必要不可欠な意思決定だった。
2001年に現在勤めるPR会社の門を叩いた。今でもPR会社という業態を知っている人たちはさほど多くないが、今から7年前の当時は、僕の友人や知人のほとんどは、PR会社とはいったい何をやっている会社なのかを知らなかったと記憶している。PR市場規模も今の半分以下の約300億円程度だったし、コミュニケーションといえば広告会社の独壇場で、6兆強を誇る広告市場とはそれこそ雲泥の開きがあった。
それではなぜ僕がPublic Relationsという仕事を選んだか。理由は大きく2つある。
まずは、米国でのPublic Relationsの役割の大きさに魅せられたことだ。米国で生れたPublic Relationsは、社会の至るところでその威力を発揮していた。政治、スポーツ、戦争、訴訟問題。想像もつかないほどスケールが大きな案件で、PR会社はそれぞれの組織や企業の参謀として、コミュニケーション上の課題を解決していたのを聞きかじり、とても興奮したことを覚えている。
そして2つ目の理由は、PR業界が日本ではまだまだニッチな産業であったこと。当時は、ちょうど渋谷界隈にITを中心としたベンチャー企業が集まってきて、渋谷が「ビットバレー」と呼ばれていて、まさにベンチャーブームの勃興期であった。同時に、大企業からの求人が絞られていた就職不況の時期であり、いわば冷や飯を食わされていた僕らの世代は、何か新しいことをやりたい、やってやる、というような雰囲気をもっていた。そのような背景から、自分も非常に小さく世の中にはまったくと言っていいほど知られていないPR業界に身を投じることにはさほど抵抗感はなかった。むしろ小さい業界であるからこそやりがいがありと感じる面もあったし、しかも米国ではPRのビジネスが非常に盛り上がっていたため、少なからず日本においてもPRはもっと盛り上がるのではないかと期待していた。
7年間の現在の会社での経験は、まさに「充実」のひとことに尽きる。新卒で入社してから20代という年代を過ごしてきた現在の会社にはとても多くの思い出がいっぱいだ。楽しいこともあったし、嬉しいこともあった、もちろん辛いことや苦しいこと、悔しいこともたくさんあった。コーポレート・コミュニケーションを中心に、本当に数多くの案件に従事することができ、そこで培われた僕の経験やスキルは本当に大切な資産だと感じている。会社にはとても感謝をしている。
今回その会社を卒業し、事業会社に移ることにした。
なぜ事業会社か? それは「より当事者意識を持って仕事をしてみたい」ということに集約される。これまで様々な案件をいわば外部のアドバイザーという立場で関わってきたが、その立場では持つ事が出来うる当事者意識に限度があることをいろいろな局面で感じていた。具体的には、決定権の有無、長期的な視野に立った長く深い関わり、他部署との連帯感などと、外部の会社としては、どうしても味わうことのできないことがあった。
当事者意識を持つというのは、やりがいもあれば、苦しいこともある。緊迫して窮地に追い込まれた状況下でも、文字通りの当事者として様々な事柄に対応する責務があるからだ。その責務を自分に課すことこそ、未来のゴールに到達するために現在の僕に必要不可欠なステップだと考え、今回の決断をした。
2008年の今年で、僕は30歳を迎える。その節目の年に新たな挑戦ができることをとても嬉しく思う。初心に帰り、これまでの経験とスキルを十二分に発揮し貢献するとともに、新たな環境でさらなる飛躍を目指して努力したい。
2008/03/06
朝風呂DE読書
早朝から風呂に浸かりながら読書をしている。アラン・グリーンスパーン元FRB議長の自伝の中で、彼の日課として朝風呂で読書をしているというのを知り、自分も生活リズムを整えると同時に、毎日の読書時間をしっかりと確保するために取り入れてみた。
風呂と読書の相性はすこぶる良い。熱い湯ぶねで起床したばかりの脳を即座に活性化させ、頭が冴えた状態かつリラックスした環境で読書に没頭できる。しかも新鮮な頭で情報を吸収することができるため、インプットの効率化が図れる。夜は弱くて、朝はめっぽう強い自分にとっては最適な読書法だ。
風呂と読書の相性はすこぶる良い。熱い湯ぶねで起床したばかりの脳を即座に活性化させ、頭が冴えた状態かつリラックスした環境で読書に没頭できる。しかも新鮮な頭で情報を吸収することができるため、インプットの効率化が図れる。夜は弱くて、朝はめっぽう強い自分にとっては最適な読書法だ。
2008/03/02
Always 続・三丁目の夕日
三軒茶屋シネマで「Always 続・三丁目の夕日」を観てきた。
僕は昭和の時代に生まれ、古き良き田舎の日本社会で幼少の頃を過ごした。ザリガニ捕り、駄菓子屋、茶畑での鬼ごっこ、肝試し、今でも鮮明にあの頃の遊びが脳裏に浮かぶ。そんな昭和世代にも少し片足をつっこんでいる自分の世代にとって、この映画はどことなく懐かしく、そしてしんみりとした感動を呼び起こしてくれる。
戦後からの復興に続く高度成長をひた走る日本は、東京タワーに象徴されるがごとく、壮大な希望と夢に満ち溢れていた。もちろん物質的にはまだまだ貧しかったが、人々の心は常にとても前向きだった。今と比べれば考えられないほど不便で、携帯電話やインターネットなんてものはもちろんないけど、その不便こそが人々の間に触れ合いや助け合いの精神を生み、人間らしい関係が作られていったことを痛感した。
今の日本は物質的には豊かになった。しかしながら三丁目に出てきた人々のような前向きな希望や夢を抱けているのだろうか。「不況」、「停滞」、「偽造」、「不祥事」、「不和」、メディアからは連日暗い言葉が流れ出し、悲観論による空虚感が漂っているのが実情だ。物質的な豊かさや便利な技術や製品は、国全体を明るくし元気にしてきた。だがある一定レベルの豊かさを満たした時点で人々は夢や希望を失くす。日本を再び元気にしていくためには、まずもって国民に夢ある未来を提示し続け、明るい雰囲気を作っていくことが必要だ。
僕は昭和の時代に生まれ、古き良き田舎の日本社会で幼少の頃を過ごした。ザリガニ捕り、駄菓子屋、茶畑での鬼ごっこ、肝試し、今でも鮮明にあの頃の遊びが脳裏に浮かぶ。そんな昭和世代にも少し片足をつっこんでいる自分の世代にとって、この映画はどことなく懐かしく、そしてしんみりとした感動を呼び起こしてくれる。
戦後からの復興に続く高度成長をひた走る日本は、東京タワーに象徴されるがごとく、壮大な希望と夢に満ち溢れていた。もちろん物質的にはまだまだ貧しかったが、人々の心は常にとても前向きだった。今と比べれば考えられないほど不便で、携帯電話やインターネットなんてものはもちろんないけど、その不便こそが人々の間に触れ合いや助け合いの精神を生み、人間らしい関係が作られていったことを痛感した。
今の日本は物質的には豊かになった。しかしながら三丁目に出てきた人々のような前向きな希望や夢を抱けているのだろうか。「不況」、「停滞」、「偽造」、「不祥事」、「不和」、メディアからは連日暗い言葉が流れ出し、悲観論による空虚感が漂っているのが実情だ。物質的な豊かさや便利な技術や製品は、国全体を明るくし元気にしてきた。だがある一定レベルの豊かさを満たした時点で人々は夢や希望を失くす。日本を再び元気にしていくためには、まずもって国民に夢ある未来を提示し続け、明るい雰囲気を作っていくことが必要だ。
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