安部首相の辞任には正直かなり驚かされた。戦後生まれの若きリーダーということで期待もし、応援もしていたので非常に残念に思う。
辞任直後はマスコミがその真相を面白おかしく報じ、国民も皆さまざまな論評を展開した。しかし、安部首相辞任について短期的な視点から多大な労力をかけて報道するマスコミに僕は強く疑問を感じぜざるをえない。若造だからだめだった、お坊ちゃんだったから甘えがあった、カリスマ性がない、とここぞとばかりにこけ落とす。日本の舵取り役である総理大臣という重責の職位にありながら、道半ばにして辞任をした安部首相を援護しようとかそういう感情はもちろん僕にもない。しかしながらこの時点で総理の資質だとか身の上話だとかそういうことを論じて何の意味があるのかということがまったく理解できない。むしろ重要なことは、日本という国を良くするために国民全体で考え、議論をすることだ。年金問題、教育、外交、経済政策など早急に討議しなければならないことが多くあるはずである。
このマスコミの報道傾向は、麻生・福田の総裁選の中でも如実に見て取れる。候補者擁立の舞台裏や政治の駆け引きなどにトピックが移りやすく、二人の候補者がどのような思想を持ち、政策を考えているのかということに焦点を当てて深く報じるマスコミはまだ少ない。
しかしよくよく考えてみればこのマスコミの報道姿勢は、国民が作り出したものであることを忘れてはならない。マスコミにとっては、視聴率が取れる、購読者数が増えることが収益を伸ばす最大の優先事項である。ゆえにマスコミは国民受けするような報道をする。つまりワイドショーで芸能人の熱愛や不倫騒動を報じるのと同じく政治もひとつのエンターテイメントとして面白おかしく報道され、それが視聴者に支持され、世論として形作られていくのだ。政治はマスコミに左右され、そのマスコミは国民感情に迎合する。この相関からすれば、国民のレベル以上のマスコミ報道はありえないし、結果として国民のレベル以上の政治や政策は生み出されることはない。
これまでの輝かしい高度経済成長時代は、これでも良かった、というよりもなんとかなってきてしまった。しかし今後はそうはいかない。少子高齢化で国内市場の成長は止まり、経済のグローバル化により日本企業は世界的な競争に挑まなければならない。日本の社会が大きく変質しているのであり、それに早期に対応するような国づくりが喫緊の課題だ。そのような局面であればこそ、国民、特に若い世代は将来の日本を見据えた俯瞰的な見地から、政治や政策の在り方を考えてレベルを底上げし、真の意味での政治を日本においても根付かせていくことが必要であると強く思う。
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